第18回 田圃 さん(「TDQ」シリーズ作者)
「結果的に勇者になり、それが伝説になる、と思ってます」
(2013.8.4 - 2013.8.31)
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※第1期回答※
(2013.8.4)
―自己紹介をお願いします。
 たんぼです。高校の時のあだなです。一応 TNB製作所と言うチーム名を今も使ってますが、
最大リア人数は二人でした。

 一応プログラムで飯食っています。 X68000 自体を知っている方にほとんど出会えず、寂しい……
基、若い業界です。

 結婚して最近まで「創作」を完全停止してました。と言っても、今もほとんど何もしていないですけどね
(なんかやろうとポメラとペンタブレットとミニギターを買ってみたけど……)。

 こんな感じでいいでしょうか!? 自己紹介って難しいです。
―あなたの「人生を変えたゲーム」についての思い出を、気の向くままに書いてください。
(最大5つまで)
自分の作ったもの以外ですよね?! 一応時系列順で……。

  • ベーマガとか雑誌に載っていたゲーム(え?
     ちょっと質問の意味から外れるかも知れませんが……。
    当時子供はゲームセンター立ち入り禁止。家庭用ゲーム機も持ってなく、プログラムの載っている本を
    買って、家で PC-6001 に入力して遊んでいました
    (もっと前はマイコンショップに行って勝手に打ち込んで遊ぶということをしてました)。
     ベーマガ、テクノポリス、PIO、そうそう、はるみのゲームライブラリ……。
    どうしてこんな英文を書いたらこう動くのかが不思議で楽しくて(今も手元に……)。

     ――プログラムと言うものに興味を持ちました。

  • スペースハリアー(NEC PC-6001mk2版)
     キャラクターが単純な四角の組み合わせとは言え、画面全体が次々と書き換えられていく迫力が
    すごいインパクトでした。
     多分記憶している中で始めて機械語を解析して改造したゲーム。「残り機数」の増殖(基本ですね)や、
    「1面からずっとユーライアに乗り続ける」改造……敵の弾に当たっても点数が増える……
    もう、ゲームじゃなかったですがね。
     まだパッケージも綺麗に残ってます。中見たら「改造版」と書かれた TDK のテープが……
    読めるかしら?!

     ――解析の楽しさ、機械語の深さを覚えました。

  • ファンタジアン (SHARP X1版)
     ご存知でしょうか? 当時なぜかかなりやりこみました。でも、エンディングは見ていない……。
     これに影響されて、 X1 の時(高校の時)、初めてオリジナルでゲームを作り始めたような記憶があります。
    トップビュータイプのダンジョンタイプのRPGで、戦闘シーンはファンタジアンもどき(笑)。
    そして、保存していたカセットテープがある日読めなくなって、終了……。

     ――バックアップの重要性を覚えました。

  • ファミスタ (FC版)
     猿の様にやりました。徹夜でもやりました。
    野球が好きになったのもファミスタからですね。草野球やったり、球場に応援にいったり……。
     ケース付きで全カセット、残ってます。

     ――友達が出来ました。

  • ドラゴンクエスト1~4 (FC版)
     言うまでも無く。このカセットも全部残ってます。

     ――TDQ を作ることになってしまいました。
―TDQ1当時、DQ以外のRPGはDQにしか見えなかった、との回想がありましたが、
それまでにどんなRPGをプレイしてきたのですか?
 おお、どこかでそう書いた記憶ありです。
あまりはっきり覚えていないのですが、今でも覚えているのは「貝獣物語」「ヘラクレスの栄光」「FF1」
あたりですね。
今考えるとファミコンの表現能力の限界もあったんですよね。
―最近はどんなゲームをプレイしてますか? (商業・同人問わず)
 最近、ゲームはほとんどしてないですね。PSP パワフルプロ野球は結構やりました。ちょっと前までは
マリオカートwiiをやりまくってましたが。

 オンラインゲームとかちょっと気になるんですが、手を出すと時間とお金を持っていかれそうで
躊躇してます。
―小学6年生、最初に触ったパソコンがPC-6001だそうですが、その頃の思い出を聞かせて下さい。
親御さんがコンピュータ嫌いだったとのことで、決して安い買い物ではなかったと思います。
 母の弟さん(叔父)が、家に遊びに来たときに PC-6001 を持ってきたのが始まりです。2つ上の兄が
いるのですが、二人で親を拝み倒して買ってもらいましたね。
 朝から晩まで、兄と交互に、ある時は一緒に触っていました
(本に載っているプログラムの入力が多かったかな)。
 パソコンばっかりやっていたことと、保存したり読み込んだりする時にデータレコーダから
「ぴーじゃっじゃ~~~」って音が漏れることもあって、パソコン嫌いになったんじゃないかなぁ。
―中学・高校の頃は音楽や漫画に力を入れていたとのことですが、
具体的にはどのようなことをやっていたのでしょうか。どのくらい本気だったのでしょうか。
(持ち込みとか、バンドとか)
 「本気」? といわれれば、全然です。

 中学の時は漫画というか、落書き書いてました。高校の時もなんか書こうと思いながら、結局落書きどまり
ですよ。高校の時に書いた四コマは pixiv に一個、あげていたりしますが……。

 音楽は、高校に入って、X1 を手に入れてから、主に namco や SEGA のゲームミュージックを MML で
入力して……。楽譜入手したり別の機種の MML を移植したり……。
ただ、X1 は PSG3音なので、かなりしょぼかったですね(自己満足の世界)。でも、X1 二台並べて
6音にしたり、3音ステレオにしたり、一番楽しんでました(HK2の名はその頃から)。その程度です……。
 X68k を手に入れてからは、音楽以外に色々出来ることが増えて、音楽の優先順位は下がっちゃいましたねぇ。
 一番熱い頃に MIDI とか VOCALOID とかあったら……、なんてちょっと妄想してしまいますね。
―高校卒業後、第一志望は親御さんと高校側の反対で断念し、大学に進学しましたが、
X68kProを買うまでの1年間について、今振り返ってどんな生活でしたか? 腐ってはいなかったですか?
あの時X68を買わなかったら、と想像することはありますか?
 良くご存知ですね(汗)。大学入ってからしばらくは初の一人ぐらし、部活の掛け持ちで、いわゆる、
リア充してました。
買っていなかったら? もっとリア充だったかも知れません(笑)。
―ネットにも繋いでいない、周りにもプログラマがいない状況で、
どうやってプログラミングを勉強していったのでしょうか。
「コミケでソフトを落とした友人達」との情報交換はあったのですか?
周りにX68ユーザーはどの程度いたのでしょうか。
 やっぱりベーマガですね。あと、雑誌。はるみのゲームライブラリーは影響ありありです。
 後は実践になりますかねぇ。幸い、プログラムを始める前、どうやってゲームは動いているんだろう、
と言う想像をしていたのですが、たまたま、その想像と現実が一致していたんですよね。なので、
意外にすんなり入れました。

当時の参考書籍群

 「コミケでソフトを落とした友人達」?
 ああ、彼とはプログラムの話は一回したぐらいです。
まったくドキュメントを書かずにプログラム書いていたので、「失敗するな」と思ったものです(笑)。

 X68 買った当時、周りに4、5人ユーザーはいましたがプレイヤーばかりでプログラムやっている人は
皆無でした。
だから、プログラムをやったのかも知れませんね(あまのじゃく?)
―TDQ1開発のきっかけとなるマップエディタ作成ですが、制作を始めたのはいつ頃ですか?
 正確には、マップエディタは、TDQ1を作りながら、ですね。
TDQ1 、一番最初はDQのキャラクターをテラッツオで書いて4人並べて動かすところから始まってます。
 確かテラッツオでしばらく書いていたけど、使いにくかったので、マップエディタを自作しながら
TDQ1 を作成したようなき記憶があります。
 ちなみに後に公開した T2PE は TDQ2 の作成後に作成してます。

※第2期回答※
(2013.8.11)
> TNB製作所と言うチーム名を今も使ってますが、最大リア人数は二人でした。
これは衝撃の事実です!
いつ、どの時期に2人だったんですか?
 TDQ2の作成終わって、かなり経ってから……。2ヶ月ほどです。
特にこれといった活動はないですよ、残念ながら。
―第一志望は音楽か、漫画関係なのかな? と思っていたらそうでもなさそうで。
差し支えなければ、何関係の専門学校だったのか、当時どんな夢を持っていたのか、教えてもらえますか?
 一応、漫画、アニメ関係です。
持込みとか投稿とか勇気が無かったですし、今みたいにTwitter や pixiv とかみてみんとか
気楽に発表する場も無かったですからねぇ。
―TDQ1を作り始めたのは大学2年の夏頃だそうですが、当初はなんのために作り始めたのですか?
作りたかったから? 自分でプレイしたかったから? 誰かにプレイしてもらいたかったから?
 作り始めたきっかけはホントなんとなくでしたね。作っていることは内緒でしたし。
ある程度出来てくると、誰かにプレイしてもらいたくなったのは確かですね。
―DQのキャラをX68で動かすところから始まったとのお話ですが、
オリジナルのキャラクターやシナリオを入れようと考えたのはどの段階でですか? それとも最初から?
 落書き程度に勇者とかのスプライトを書いて、動かしてみて、町を書いてみて……。
その辺まで作ったところで、シナリオを入れてみようかと。それなら戦闘も入れてみようかと。
そんな感じで、ある意味TDQ1は無計画でした。
―ストーリー、システム、絵や音楽はどのような順序で実装していったのでしょうか。
冒頭から順序よく作っていったのですか?
個性的なキャラクターたちは、どんな順序で作られていったのでしょうか。
 最初オリジナルのシナリオを乗せようと思った時に書いたスプライトが少年と妹とスライムでした。
 シナリオは単純に二人と一匹が魔王を倒す、ってぐらいでスタートしたように覚えています。
何のチャートも描かずに世界地図書いて、旅させるルートだけ決めて、後は結構行き当たりばったり(汗)。
もちろん、先に進むにつれ矛盾が出て、前に戻って直したりしました。

 母が付いてくること、奇跡の羽衣なんかは思い付きです。

 ゼルクなんかはエンディングまで作った後、「回復系が足りない?」と思って、ポッと足したように
覚えています。

 ちなみに少年と母は、DQ2のローレシアの王子、DQ4のミネアの色を変えてごにょごにょと……
え? 言わなくてもわかる? そうですよね。
―勇者イケタについて。
魔王のくせにやたら人間くさいキャラですが、何かモデルはあるのでしょうか。
盾が本体だったのですが、彼個人に魔王とは異なる人格はあったのでしょうか。
 見た目のモデルはいます。池田君です(汗)。私の顔と言ううわさもあったみたいですね。

 キャラ自体にモデルはいません。池田君はいい関西人です!

 イケタ自体はイメージはさまよう鎧……、つまりもし中を見たら空っぽ、と言うイメージを私は持っていました。
―TDQは1、2とも「勇者の運命にない者が、勇者になるまでの物語」だったのですが、こだわりがあったのでしょうか。
人間に迫害されたスライムが立ち上がる、という原案の時点で、根本にあるのはアンチ「選ばれし勇者」なのかな
と感じるのですが、「選ばれし勇者」について何か思うところがあったのでしょうか。
 出来レース、敷かれたレールの上を進むだけの人間がそこまで強くなれるのか?!
予言なんてそんなに的確にあたるものじゃない!
そんなことを思っていたのは確かですね~。
結果的に勇者になり、それが伝説になる、と思ってます。
―一番時間を食ったのがグラフィックだったとのことですが、攻略本や画面を睨みながら精密にドットコピーをして、
それでもなお「手抜き」と呼べるのかどうか、今ふり返ってどう思いますか?
 モンスターを書くのは結構苦痛でしたね。当時ROM吸出しなんて、考えもしなかったですから、
とにかく本を見て打つしかなかった。
同じドット絵なのでX68上で書いても、これと言って映えるわけでもなく……。ちょっと影をつけたり、
パレットを変えたり、楽しみはこの程度でしたから。
モンスターをマップに配置していて足りない思ってどれを追加しようかな、と言う選定は楽しかったですが(笑)
―制作当時迷ったこと、悩んだことについて、覚えていることを教えてください。
 TDQ1 に関しては、意外に悩まずすんなり作れたような気がします。
ビギナーズラック、怖いもの知らず、ですね(笑)。
―TDQを頒布したがために田圃さんの人生の歯車は大きく狂ってしまったわけですが、
今「コミケでソフトを落とした友人」に言いたいことがあったら、どうぞ。
 ちゃんと仕様書は書こうよ(笑)。

 参考までに私の仕様書。いろいろ書いてありますが、文字が汚くて今よめないですね(笑)。
TDQ1 の規模でもこれくらいの資料になりました。

送られてきた原寸で写真を張っておきますね。
TDQ1 資料全体像
TDQ1 シナリオプロット
TDQ1 フラグ管理表
TDQ1 ダンジョン全図
―今でこそ有明はあんなですが、1991年の晴海の様子について、当時を知らない人に教えてもらえますか?
 私も一、二回ブース参加しただけですし、最近行っていないので、比較は出来ないですが、
一つ覚えているのはビキニのラムちゃんがいて、ちょっと度肝を抜かれた、ぐらいかな
(今は、禁止なんですよね?)。

今現在は、フルカップで下にタイツ着てればビキニもOKみたいですね。
今の日本にはラムちゃん成分が足りないっちゃ!

―完成当時、TDQの売れ行きはどうだったのですか?
印象に残っている感想や反応はありますか?
 穴埋め的に一回(……二回だっけ? 記憶があいまい)出しただけでしたし、
もちろん、その時は突発的でしたから予告も打ってなかったですし、
POPなんてものも作って無かったです。

 DQのあのロゴが無ければ、だれも手に取らなかったでしょうね(笑)
―今ふり返って、田圃さんにとってTDQ1とはどんな作品ですか?
 X68000 での最初の作品なので、いい思い出ですね。他の作品はほとんどが「ああ、こうすればよかった」
と言う後悔が残るのですが、意外に TDQ1 には無かったりします。
あ、もちろん、『完璧』と思っているわけじゃないですよ。多分『最初にして』と言う甘えです。
―「TDQ1がDQで無かったら」という問い、今ならどう答えますか?
 黙殺されていたでしょう(笑)。
ただ、DQでなく、グラフィックも音楽もシステムも全部オリジナルで、反響があったなら、
また別の自信が付いていたかも知れません。
(>>2さん)
現在同人ゲーム界はここ十年あまりでツールの進化、充実した素材、名作の登場などによって
作り手にもプレイヤーにもより身近なものへと姿を変えましたが、
田圃さん自身がゲーム制作へカムバックするという目論見はありますか?
 ゲーム作りはやっぱり時間を多く要するのは身にしみてわかっているので、なかなか覚悟がいります。
 最近はそう言う素材を扱うサイトも増えてますが、どうも下手な割りに、全部やろうとしてしまうんですよね(笑)。
 ゲーム自体、やらなくなってしまっていますしね。

 でも嫌いじゃないので、ちょっと歯がゆいですね(ああ、答えになってない?!)。
(>>3さん)
以前、田圃さんのHPにはTDQの続編について書かれていましたが
これからTDQの続編を製作する予定はありますか?
(個人的には、ぜひあってほしいですが。。。)
 RPGとして作成するのはかなり難しいかなって思っています。
時間的にもそうなんですが、当時(個人的に)斬新だったネタ、設定も、今では当たり前だったりします。
次々『ああ、なんか似たようなことやられた~』って(笑)。

 後、元々ゲーム向きじゃないと言うイメージもあります。TDQ3 は主役がプレイヤーじゃない予定でした(笑)。
複数のプレイヤーが同時に一つの世界に入れるようなシステムを考えていましたから(今で言うオンライン
ゲームですね)。
TDQ4 は魔法も無い、魔物もいない、フィールドにいる生物もほとんど鳥類、そんな世界でゲームになるのか、と悩んでましたしね(汗)。

ちなみに、pixivでTDQ3のノベライズをやってる なの さんのアカウントはこちら。

※第3期回答※
(2013.8.21)
―TDQ2を作り始めたのは、TDQ1頒布後すぐのようですが、
1991年の大学3年生なら、既に山ほど内定をもらっていた人も珍しくなかったと思います。
当時進路についてはどう考えていましたか?
 当時そんなに早く内定が出ていた記憶はなかったりします。私の周りだけかも知れませんが……。
 進路に関して、あまり深く考えていませんでしたねぇ。
 まず自分が出来ることはなんだろう、ってモヤモヤしていたのは確か。
少なくとも建築科の流れでの就職は考えてなかったです。
―就職で使うことを意識している割には、ボリュームが大きすぎる気がしました。
当初、誰をプレイヤーとして想定していたんですか?
 ボリュームに関しては、あまり意識してなかったです。結果的にあの大きさになったという感じで……。
ディスク2枚に入ってよかったです……。
 プレイヤーは、同じ大学で X68 を持っている人もいましたので、最初はその方に楽しんでもらいました。
―TDQ2はどこから作り始めたのでしょうか。
「魔族の大地」の設定の大枠は最初から決まっていたのですか?
 どこから……!? どこからでしょう……。
覚えているのは……そう、 TDQ1 では音楽もシナリオも実行ファイル内で持っていたんです
(disk内を見てもらえばわかりますよね)。
手始めにこれを外部ファイルにして起動時読み込むようにしたのは覚えています。つまり、 TDQ1 の
ソースの整理から作り始めたって感じですね。
でも TDQ1 のソースを見直せば見直すほど「むむむ」だったので、結局 TDQ1 のソース率は 1% 未満に
なりました(ほぼ作り直し)。

 グラフィックも同じ。 TDQ1 のままのグラフィックは…… 8x8 の文字ぐらい……。
モンスターも全て何処か手を入れています。

 設定の大枠は TDQ1 を作り終えるころにはほぼ大まかに出来ていたと思います。もちろんシナリオ
プログラム中に、小さいところでチョコチョコ変えていったと思います。
―TDQ1からの最大の反省点は、例えばどこだったのでしょうか。
逆に、「ここはTDQ1の長所だから伸ばしていこう」と決めていたポイントはありますか?
 TDQ1 の最大の反省点といったら、作ったことでしょうか(笑)。
それはともかく、もう少しDQを研究したらよかったかな、と。敵と味方でダメージが同じじゃない、とか、
爆弾岩は叩かないと爆発しないとか、後で言われて気が付いたりしたことも多々あります。

 TDQ1 の長所……。反面教師にも似た感じですかね。
身近な方の感想では TDQ1 は難易度が高く最後までやってくれなさそう……と言う意見があったので、
TDQ2 では最後までプレイして欲しく、少し難易度を下げた、と言うのはありますね。
―日記を読むと、マップの方がシナリオより先行していたように見受けられます。
船やドラゴンもあるTDQ2、ワールドマップやダンジョンマップで気をつけたポイントがあったら教えて下さい。
 変化をつける、ってことでしょうか……。パッと見でどこのマップかわかるように。
ダンジョンは壁のパターンや色を変えて、フィールドは、地形に特徴をつける……など。
画面の見える範囲が決まっているので、そこで見えてはいけないようにする、逆に行けないけど、チラッと
見えるように配置する、と言うところ。気を使ったのはその辺でしょうか。

 ちなみに、TDQ2 のマップはおおよそ世界地図ですが、マップの段階で南アメリカがなくなってしまった
ことは内緒です。

初期マップ構想
鉛筆なので、ちょっとかすれてしまっています。マダルカルが見えにくいですね。ローシがでかい。

マップ構想最終期
ほぼ今のもの。

マップ打ち用原稿
実際のマップ(多少ずれがあるかも?!)
―TDQはネーミングが独特と評判ですが、特にお気に入りの固有名詞は何(誰)でしょう?
 発音しにくいって言う感想もちらほらいただきました。一応意図的にそうしました。
ゲーム内(現地)の流通語は日本語ではないはずなので、唇や舌の使い方が違うだろう、と。
日本語翻訳しても、単語ってそのままですよね。なんてことを考えて名前(単語)を考えてましたねぇ~。
最初発音しにくくても、何度か言えば逆に忘れなくなるという狙いも。
それに成功したかなぁって思っているのは「レヌイス」「アウカク」あたりだけかも知れませんが(汗)。

 ちなみに実際の地名をベースにしているものもあります。
ローシ、レーアオスト、マダルカル、ゴドワンあたり……。
―数多いプレイヤーキャラが魅力のTDQ2ですが、これは最初から数を多くしようと思って
増やしていったのでしょうか? それとも結果的に?
 最初におおよそ主要なメンバーは決まってました(シナリオに絡んでいる人たち)。
途中でシナリオ進行上、仲間に出来るキャラが足りないということで少し足しましたが、逆に仲間に
ならなくしたキャラもあります。
前者は「ヤン」「ベホマン」「ラエビ」「フアッス」、後者は「ヨーリア」「ホンニン」「ダニー」あたりかな。
おおよそ予想出来ますよね(笑)。
 ちなみに「ダニー」は予定していて、いつの間にか忘れられました。
―ヤンことパ・リュウミンの主役ゲームやその設定について、ぜひぜひ詳しくうかがいたいです。
 詳しい設定が見当たらなくて、実は困っています(汗)。
pixiv にも載せましたが、X68000用に「PA・Ryumin~ワルプルギスの夜」と言うシューティングゲーム……
コットンっぽいって言ってしまえばそこまで。
当時の資料によると「デカキャラシューティング(アクション?)」と書いてありますね(笑)。
実はこっちの企画の方が TDQ2 より先で、TDQ2 で「魔法使い、必要だよな」となった時に、あ、
彼女でいいや、と(かなり安直)。
ゲームがボツッた後、漫画用に設定(年齢や世界観)をリメイクしたものがあったはずなのですが、
キャラデザイン以外紛失です。
―今から振り返って、総合的に一番うまくできたと思っているキャラは誰ですか?
逆に一番失敗したと思っているキャラは誰ですか?
 「うまく出来た」のはやっぱりレヌイスですかねぇ。長所と短所がはっきりさせることができましたから。
ただ、物が持てない事、武器が変えられないことが敬遠される要因になったようですね。
武器だけ変えられずに他の荷物、装備は変えられるように何とかシステムをがんばって変えたら
よかったかなぁ。

 「失敗」はもしかしたらタルスかな。短所が少なかった(笑)。
あと、チオレですかねぇ。お金は取るけど、もう少しいいやつにしたかったですねぇ。
トーヤー? あんなものでしょう(笑)
pixivでステータス画面用アップ絵を描く前のイメージイラストをいくつか公開されてますが、
鳥山先生を意識していないとしたら、誰の絵・どんな絵を目標にして描いてましたか?
 難しい質問ですね。まず、鳥山先生の絵は真似できるものではないと思ってました。初めのうち「目ぐらいは」
と意識してましたが、数人で諦めました(笑)。
 後は昔からの書き方で……。誰の絵でしょ!?。真鍋譲治先生、まつもと泉先生、土器手司先生、
高田明美先生あたりの影響は受けていると思いますが、結果誰にも似ていないのでは?!
―戦闘AIのプログラミングには非常に苦しんでいたようですが、
他に悩んだところ・迷ったところについて教えてください。
 Windows みたいに別ウィンドウを開いて、現在の状態(フラグ、パラメータ)を表示しながらという開発が
出来ませんでした。また、ソースコードデバッグもなかったので、戦闘中の下部の表示部分に確認用
メッセージを表示する程度でやってました。
 これは他の部分でも言えることでした。今考えるとよくやっていたなぁと感心します(笑)。
―1992年の年の瀬、マスターアップした時のことを思い出せる限り書いてください。
 全キャラのバストアップは書けてないし、誤字脱字のチェックは全然ですし、一曲、作曲もしていないし
(空飛ぶドラゴンさん)、色々残ったまま、とりあえずのマスターアップだったことを覚えています。
正月、実家に帰ると何も出来なくなりますからね。
―β版として限定的に配布したTDQ2が、既にネットで大々的に広まっていると知った時の
率直な感想を教えてもらえますか?
 TDQ1 でもそれなりに広まっていたので、「やっぱり」と言う印象がありました。
ただ、 TDQ1 の時は無プロテクトで不特定多数の方に渡したのでしょうがなかったですが、
TDQ2は最初、特定の方にプロテクトをかけて渡していたので、ちょっと「がっかり」したことも覚えています。

 でも、TDQ1 の時は勝手に雑誌に載ったりしてましたが、 TDQ2 では一応プロテクトのおかげか、
2個目だったせいか、あまりそう言うのはありませんでしたね。
―当時、嬉しかった感想・反応は何だったでしょうか。
 どんな感想でもうれしかったですよ。こういうゲームなので、パーティ構成を感想に書いてくれる人が
多かったです。各イベントクリア時のパーティ構成もセーブデータに含まれている(エンディングで使用して
いる)ので、たまにセーブデータのファイルを送って貰ってニヤニヤしたりしてました。
 手紙で貰った感想は、今も宝物です。
―DQ5をプレイしたのはTDQ2完成の1年後だったそうですが、その時どんなことを思いましたか?
感想を聞かせて下さい。
 「あ、戦闘の背景が左右対称になってる!」でした(笑)。
TDQ2 の戦闘の背景の参考にした昔の記事では左右非対称だったので、すごく印象に残ってます。
あ、あとスライムナイトってただのモンスターなんだって思いましたね。
 ただ、主人公はプレイヤーなはずなのに、成長中の空白があることに違和感がありました。
その間、オイラじゃないの?

※第4期回答※
(2013.8.31)
―チオレの強さは、ミシーナでピラミッドをクリアしないと伝わりづらいかもしれませんね。
(それにしてもボッタクリだと思いますが。)
ところで、TDQは数多い裏技でも知られていますが、今裏技として知られているもののうち
不具合だったり、デバッグ用コマンドの消し忘れだったりするものがあったらこっそり教えてください。
 バグと書いて裏技と読ませる……とよく言いますが、「多刀流」はバグです!(汗)
 後、「毒消し草」(TDQ1)、びっくりです!
 「消える宝箱の中身」、ご迷惑をおかけします。

 他は、意図的のはず・・・。

 チオレは確かに突然出さずに、一度ピラミッドに入ってから現れたら、「よさ」が出たかもしれませんね。
ふむふむ。
―TDQ2制作後のことについて、差し支えない範囲で教えて下さい。
どういった経緯で満開製作所へ入社したのでしょうか。
製作所での思い出についても、よければ。
 社でゲームを作りたいと言うお話からでしたね(メイ鉄はその一つ)。
気が付くと成り行きで編集や原稿まで書かせていただいて……。若かったですね~。
―TDQ3やTDQ4の構想は、TDQ2制作後すぐに始まったのでしょうか。
当時の気持ちとして、もっとゲームを作りたいと思っていましたか?
 TDQ3, 4 の構想自体は TDQ2 作成途中からありました。
TDQ3 はもっと前から温めて腐って(!)いた話をベースに、あーでもないこーでもないって。
ちなみに TDQ2 の後もいくつか、TF4G('93~94) , TF4M('95) などを作ってましたよ
(あまりゲーム性、なかったですけどね)。

TF4G1
TF4G のタイトル。マリオカートより先に4分割してましたぞ(笑)

TF4G2
ウェットレース。スターティンググリッド。

TF4G3
トンネルや看板もあり(空飛んでる?)。
音楽は全曲 HK2 氏の書き下ろし。

TF4M1
TF4M のタイトル。これの音楽も全曲 HK2 氏の書き下ろし。

TF4M1
4人同時に一つの迷路内を鍵と扉を見つけていくゲーム。ゲーム性なし(汗)。
―知らない方のためにも、TDQ3とTDQ4の背景設定についておさらいさせて下さい。
TDQ3はモウニュの時代の伝説の大地の話、TDQ4はナーが人間に分け与えた大地の話、ですよね?
 TDQ3 は「木と水」の魔族と「鉄と火」の機族の戦い……第2期回答で書いたとおり、主役は機族のラウで
プレイヤーじゃないです(笑)。
 TDQ3 の魔族のナーが作り出した大地が、 TDQ2 の舞台です。
TDQ4 は TDQ3 の舞台……戦いで荒れたうん百年後です。これも第2期回答で書いたとおり、魔力を
持ってるものはほとんど TDQ2 の舞台に行ってしまったので、 TDQ4 は果たしてゲームとしての企画に
問題は無かったのか(汗)。

 ……そんな感じです。
―今展開されているTDQ3のノベライズや、その絵コンテなどを見ていると、
まったくDQでも鳥山でもない印象を受けますが、この世界観はどのあたりに源流があると思いますか?
 風の谷のナウシカですね(笑)。元々ベースになった話がそれの二次創作的なものでした。
と言っても残っているのは、「風使い」や「風の吹き抜ける谷」と「腐海」……。ノベライズ化で「腐海」は
必要なくなったので、なくなりました。ゲームの時はプレイヤーの行動を制限するのにどうしても「腐海」
みたいな物が必要だったのです。
 ま、そのため、某所の企画書段階でボツッたと言う逸話もあります。
―メイフラワー鉄道といいTDQ3といい、やや遠大すぎる構想にも思えるのですが、
実現可能性についてはどう考えていたのでしょうか?
み、耳が痛いです……。若かったですね(汗)。
―今ふり返って、15年前頃にやっておきたかった心残りはありますか?
 あったかも知れませんが、もう、わすれちゃいましたね。
ただ、ゲーム作りを継続していたらよかったかなぁって思うことはあります。
当時の知り合いの個人のゲームクリエータさんが今、結構有名ゲームのDしているのを知った時は、
特にそう思いましたね。
―(唐突に)好きな動物は何ですか?
 カピバラさん。え?
 ……一時期は鳥の絵ばかり書いてました。 TDQ4 の企画の時ですね
(登場人物内にも鳥が好きな娘がいまして……)。
(>>4さん)
開発にはどのくらい時間が掛かりましたか?
 一応大学生の本分を守りながら……建築科ですので、製図や模型とかの宿題……やってましたね。
なので、1,2共に期間は一年ずつかかったでしょうか。

 そういえば、製図や模型をやっているときは、なぜか「奇面組」、TDQをやっているときは、アベルのVTRを
繰り返し見ながらやってました。見慣れたものじゃないと手が止まりますからねぇ。
(>>5さん)
スクウェアはFFが不調になってから神メーカーという印象が薄れてしまいましたし
エニックスのドラクエ10もオンライン化したことでかなり賛否両論出てます。
現在のドラクエの方向性とか和製RPGの未来などについて
ひでさんの感想やご意見など伺いたいです!
 えっと、田圃です……ま、いいか。すごく難しい質問ですね。

 画面がリアルになり始めた時、自分がその世界にいる妄想(想像)が出来なくなりました(DQ7までが限界だった)。それまでは、簡単なドットで描かれていた画面は、いわゆる小説で言うト書きのようなもので、場面を想像するための一つの情報にしか過ぎませんでした。画面では単純なブロックの囲いに王様らしき絵が
置いてあって、その前にプレイヤーのコマがあるだけですが、頭の中では何処かの大きな城の中で目の前に王様が偉そうに立派なイスに座っている姿を浮かべていたと思うんです。
 リアルになってしまったせいで、それ以上想像する必要がなくなりました。目に映ったものがその世界で、
且つ、プレイヤーの操る人間もそこにいるのです。自分じゃなくなりました。
 昔、DQをプレイした人のこんな意見を聞いたことがあります。「DQの主人公って無口だよね」、と。想像が
得意でない人にはそう映ったようです。今、目に入った情報以上想像する必要がなくなった今、こういう
プレイヤーが大部分を占めるのではないでしょうか。「想像を楽しむ」、から、「目や耳から入る情報で楽しむ」に、大きく変わったのがPSの登場あたりでしょうか。

 DQは勇者という唯一の存在として優越感に浸れるゲームだったように感じています。それをオンラインに
したとき、どう表現を変えているのか、プレイしていない私にはわかりません。昔 TDQ3 をマルチプレイでやる
ことを考えた時は、プレイヤーは「勇者ではない」としました。勇者のいる世界の村人A、Bとなり、自分の意思
で勇者の手伝いも出来る、勇者よりも活躍できる、何もしなくても、魔王を倒してくれる、そんなものを考えて
いました。同じでしょうか?!(あ、体験版が Windowsでも出来るようになるんですね……今度やってみよう)
 プレイヤーの楽しみかたが変わってきているのですから、ゲームも変えていく必要はあると思います。ただ、
「DQ」である必要はあるのか……。ただネームバリューとして使用しているのか、(TDQと同じように)呪文や
アイテムなどを流用して開発を楽にしたかったのか、あるいはユーザーが取っ付き易くしたのか……。それは
わかりません。
 いずれにしても、異を唱える人がいたとしても、それを楽しんでいる人がいて、それを作っている人が生活
できるのであれば、ニーズにあっているということで、成功しているんだと思います。

 ただ、個人的にはやっぱりリアルになりすぎるのは、怖いですね。「売れる」ということだけでなく、実生活と
ごっちゃにならない配慮が欲しいです。リアルよりゲームの時間が長い人も実際いるわけですからね(汗)。

 ……で、質問、なんでしたっけ?(汗)
―TDQ3のノベライズも進んでいますが、今後田圃さんとしては
どんな活動をしていきたいと思っていますか?
 「田圃さん」としては、ぽてぽてとお絵かきして、昔の漫画のネタやゲームのシナリオの整理はしておきたい
ですね。
あと、こっそり違う P.N. で何かしているかも知れません(笑)。
―公開停止から10年以上経った今、
このインタビューを読んでいるみなさんに一言、お願いします。
 リアルタイムで知っている方はどれくらいいらっしゃったんでしょうか。むしろ赤松さんに迷惑かけたのでは
ないかと、ちょっとドキドキしています。
 知らない方も、(手間がかかりますが)プレイしていただけると、うれしいです。わけあって自分自身のHPで
アップする勇気は有りませんが(JAS○ACからのメールはビビッたすよ)。

 しばらくは「田圃」として pixiv のほうは顔を出していますので、かまってください(照)。
―あなたにとってフリーゲームとは?
 市販など大人数で作成する「ゲーム」を「アニメーション」と例えた場合「フリーゲーム」は一人(+数人の
アシスタント)で作成する「漫画」(同人誌)かな、と思っています。
市販ゲームなどよほどでない限り個人の思った通りのものを作るのは大変ですが、「フリーゲーム」はある程度
自由に出来ますからね。
 今は素材が一杯転がっていますし、プログラム以外をやっている人を集めるのも容易になっているのは、
ちょっと羨ましいですね。でも、当時は一から作るのが楽しい時代でもありました(遠い目)。
―ご回答、ありがとうございました!